藤原進之介 | 2026年6月6日
こんにちは。数強塾グループ代表の藤原進之介です。今日は、いつもと異なるコラムを書き残したいと思います。私の思索を書き残したものです。
藤原進之介コラム|男女論と教育の未来について。中途半端な知性をもってしまった人間が、それでも子どもたちの未来を信じるということ
人間という生き物は、どうしてこうも中途半端なのだろう、と考えることがある。
賢いようで、賢くない。
愚かなようで、まったく愚かでもない。
未来を想像できるのに、目の前の感情に負ける。
過去を反省できるのに、同じ失敗を何度も繰り返す。
理想を語れるのに、現実の小さな利害に簡単に引きずられる。
人間は、神のようにすべてを見通せるわけではない。かといって、動物のように今日の空腹と眠気だけで生きているわけでもない。明日のことを考え、十年後のことを考え、子どもの将来を考え、自分が死んだあとの社会のことまで考えてしまう。
そのくせ、考えたからといって、正しい選択ができるとは限らない。
そこに、人間の苦しさがある。
私はときどき、人類は中途半端な知性をもってしまったがゆえに、滅亡に向かっていくのではないか、と感じることがある。これは、何か特定の事件だけを見て言っているのではない。SNSの言葉の荒れ方を見ても、世界情勢を見ても、教育の現場を見ても、家庭の中にある小さなすれ違いを見ても、人間は自分たちの知性をまだ十分には扱いきれていないのではないか、と思う瞬間がある。
人間は、便利な道具を作る。その道具によって、自分たちの生活を豊かにする。しかし同時に、その道具によって、自分たちの心を追い詰める。
人間は、言葉をもつ。その言葉によって、人を励まし、愛を伝え、知識を共有する。しかし同時に、その言葉によって、人を傷つけ、追い詰め、分断する。
人間は、教育をつくる。その教育によって、子どもたちの可能性を広げる。しかし同時に、その教育によって、子どもたちを序列化し、比較し、息苦しくさせることもある。
本当に、中途半端だと思う。
けれども、ここで私は立ち止まる。
たとえ人間が中途半端な知性をもってしまったとしても、たとえ人類が長い目で見れば危うい方向へ進んでいるとしても、それが今日を幸せいっぱいに生きない理由にはならない。
むしろ、逆ではないかと思う。
世界が不完全だからこそ、今日を丁寧に生きる。
人間が未熟だからこそ、学ぶ。
社会が危ういからこそ、子どもたちを大切に育てる。
未来が不確かだからこそ、目の前の一日を粗末にしない。
私は、教育に関わる者として、この感覚を大切にしたい。
なぜ勉強するのか、という根本の問い
保護者様に向けて何かを書くとき、私はつい、実用的なことを書きたくなる。成績の上げ方。受験戦略。情報Iの重要性。数学の勉強法。女子校の進学校に通う生徒の特徴。中高一貫校でつまずく単元。大学入試の制度変更。そうした話は、もちろん大切である。
しかし、その前に、もっと根本的なことを考えたい日がある。
そもそも私たちは、なぜ子どもに勉強してほしいのだろうか。
なぜ保護者様は、わが子の成績に胸を痛めるのだろうか。
なぜ塾という場所に、時間とお金と期待を預けるのだろうか。
なぜ私は、毎日のように教育について考え続けているのだろうか。
それは、子どもたちに、よく生きてほしいからだと思う。
ただ有名大学に入ってほしいだけではない。ただ高収入になってほしいだけではない。ただ人に褒められる人生を送ってほしいだけではない。
もちろん、学歴も、収入も、社会的評価も、軽いものではない。私はそこをきれいごとでごまかすつもりはない。現実の社会では、学力があること、学歴があること、専門性があること、数字に強いこと、文章が読めること、情報を見抜けることは、間違いなく人生の選択肢を広げる。
しかし、それらはあくまでも、人生を支えるための力である。
学力のために人生があるのではない。
人生のために学力がある。
この順番を間違えてはいけないと思う。
利発な女子生徒たちの中にあるもの
私の生徒には、女子校の進学校に通う生徒が多い。彼女たちは、実に利発である。
言葉の反応が速い。理解が速い。一を聞いて十を想像する。学校の空気も、友人関係の変化も、保護者様の期待も、大人の建前も、かなり鋭く感じ取っている。
こちらが何気なく言った一言の裏側まで、すぐに読む。授業中の説明でも、「つまり、こういうことですよね」と本質をつかむ。ときには、教師の側の甘さや矛盾にも気づいている。
私は、そのような生徒たちを前にすると、安易な言葉を使えないと感じる。彼女たちは、ただ「真面目な女の子」ではない。ただ「勉強ができる子」でもない。彼女たちの中には、非常に強いエネルギーがある。
そのエネルギーは、まだ形になっていない。だから、本人も困っていることがある。自分の中に何かがある。言いたいことがある。考えたいことがある。社会に対する違和感がある。学校の枠の中だけでは収まりきらない何かがある。けれども、それをどう表現すればいいのかわからない。
頭の回転が速すぎて、悩んでいる子もいる。一つのことを考え始めると、次々と連想が広がる。自分の将来のこと、家族のこと、友人のこと、社会のこと、受験のこと。まだ十代であるにもかかわらず、大人のような問いを抱えている。
本来、それは才能である。しかし、十代の時期において、才能はしばしば苦しみとして現れる。
感受性が強い子ほど、傷つきやすい。
思考力が高い子ほど、迷いやすい。
責任感が強い子ほど、自分を責めやすい。
理解力が高い子ほど、周囲の未熟さに疲れやすい。
言葉をもつ子ほど、言葉にならない苦しさを抱えやすい。
優秀な子ほど、助けを求められない
保護者様から見ると、「この子はしっかりしている」「勉強もできる」「学校でも問題なくやっている」と見えるかもしれない。実際、外側から見れば、彼女たちはかなり整っている。礼儀正しく、課題もこなし、学校生活にも適応し、友人関係も大きく崩れていないように見える。
けれども、内側では、相当なエネルギーが渦巻いていることがある。
「私は何者になればいいのか」「このままいい大学に行けば幸せなのか」「自分の能力をどこで使えばいいのか」「周囲の期待に応え続けるだけでよいのか」
そういう問いを、彼女たちは声に出すとは限らない。むしろ、優秀な子ほど、うまく隠す。大人びた子ほど、「大丈夫です」と言う。本当は助けてほしいときほど、理性的に振る舞う。
そして、優秀な子ほど、「自分は助けを求めてはいけない」と思っていることがある。
「この程度でつらいと言ってはいけない」「もっと大変な人がいる」「親に心配をかけたくない」「優秀な子として見られている自分を崩せない」
そうやって、ひとりで抱え込む。
学びは、エネルギーを形にする
私は、学力を「自由のための道具」として見ている。
数学ができれば、論理で戦える。情報がわかれば、現代社会の仕組みを読める。文章が読めれば、他人の言葉に支配されにくくなる。数字が扱えれば、経済や契約やデータにだまされにくくなる。考える力があれば、誰かが決めた枠に黙って収まらずに済む。
特に、これから社会に出ていく女子生徒たちにとって、学力は自分を守る力にもなる。
不合理な扱いを受けたとき、言葉にできる。不当な条件を提示されたとき、数字で考えられる。誰かに都合よく使われそうになったとき、構造を見抜ける。自分の価値を小さく見積もられたとき、根拠をもって説明できる。
これは、非常に大切なことである。
教育とは、次の世代への希望の渡し方
私は、女子校の進学校の生徒たちを見ながら、彼女たちがいつか社会の中で堂々と立っている姿を想像することがある。
大学の研究室で、自分の問いに向き合っている。医療の現場で、患者の人生を支えている。企業の中で、複雑な課題を整理している。学校の教室で、次の世代に知識を渡している。情報技術の世界で、新しい仕組みを作っている。あるいは、誰にも簡単には分類できない、自分だけの道を歩んでいる。
そのとき、十代の頃に抱えていたエネルギーが、どこかで役に立っていてほしいと思う。
「あの頃、自分は考えすぎて苦しかった」「でも、その考える力が、今の仕事に生きている」。そう思える日が来てほしい。
私は、そのために授業をしているのだと思う。
保護者様への言葉
お子様の中にあるエネルギーを、どうか小さく見積もらないでください。
それが今、反抗や不安や迷いとして見えているとしても、その奥には、未来へ向かう力があるかもしれません。利発な子ほど、簡単にはまとまりません。頭の回転が速い子ほど、単純な励ましでは納得しません。感受性が強い子ほど、普通の言葉では届かないことがあります。
しかし、それは欠点だけではありません。
その子が、自分の人生を本気で考え始めている証拠かもしれません。
大人ができることは、そのエネルギーを怖がって抑え込むことではありません。方向を与えることです。言葉を与えることです。学力を与えることです。失敗しても戻れる場所を与えることです。そして、社会に出ていく準備を一緒にすることです。
おわりに
世界は完全ではない。人間も完全ではない。社会も完全ではない。教育者である私自身も、完全ではない。
それでも、今日を幸せに生きることはできる。今日、一問わかるようになることはできる。今日、子どもの表情を見ることはできる。今日、少しだけ言葉を選ぶことはできる。今日、未来を狭める言葉ではなく、未来を広げる言葉を選ぶことはできる。
たとえ人類が中途半端な知性をもってしまったとしても、それが今日を幸せいっぱいに生きない理由にはならない。そして、たとえ社会が不完全であっても、それが子どもたちの人生の選択を狭める理由にはならない。
私は、そのことを忘れずにいたい。
教育とは、子どもたちを社会に送り出す仕事である。同時に、保護者様とともに、子どもの未来を信じる仕事である。そして、中途半端な知性しか持たない人間が、それでも次の世代に希望を渡そうとする営みである。
私は、その活動に誇りを持つ。迷いながら、考えながら、それでも教え続ける。それが、私に与えられた役割なのだと思う。
藤原進之介(株式会社数強塾 代表)
東進ハイスクール・東進衛星予備校 情報科専任講師。株式会社数強塾代表。数強塾グループ(数強塾オンライン・日本数学塾・日本英語塾・英論会・日本国語塾・情報ラボ)を運営。累計指導生徒数2,000名超。横浜市石川町。
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